『極星

山崎幹夫の「私映画」あるいは「詩映画」の原点

小川智子

山崎幹夫の映画を観ると、おそらく、彼を知らない、初めてその作品を観る人でも「なつかしい」感じがするのではないだろうか。作風の郷愁という意味ではない。誰しもがもっている個的な記憶、ささやかな感情のひだや、とるに足らない風景への発見、日ごろの生活からこぼれおちていく、けれど自分にとっては大切だったかもしれない何かへの感覚が、フィルムを媒介にして伝わってくる。

北大生になって本格的に8㎜フィルム作品を作り始めた山崎幹夫は、短編『海辺の記憶』(`82)でぴあフィルムフェスティバル入選。〈映像通り魔〉という制作集団を主宰し、『ダイナマイトロード』『ゴーストタウンの朝』など、精緻なアナキズムに満ち、かつファンタジックな長編作品を作りあげていた。当時すでに8㎜フィルムの存亡は危惧されており、“通り魔の武器”であったフジカZC1000が使えなくなったら山崎幹夫の創作はどうなるのか、と通り魔の末端メンバーとしてはよけいな心配をしたものだったけれど、大学を卒業して実家の東村山に戻った彼が、26歳から27歳にかけての時期に撮った久しぶりの長編作品がこの『極星』だった。

前半は、これまでも山崎作品の常連俳優だった神岡猟を追いかける。カメラで追いかけながら、お前は誰か、何をしているのか、という問いかけが、被写体の反射によって山崎自身に、自身の声で返される。従来の撮りかたを放棄したかのように、後半は山崎自身が被写体となり、映画を撮ることの意味を問い、思考は内向きに入ってゆき、亡父がかつて撮った映像に「まなざしが存在する」ことを確認し、初めて父のカメラのファインダーを覗いた瞬間へ回帰しようとする。古巣ともいえるPFFで選考のための映写のバイトをし、8㎜フィルムの洪水に夜通し巻き込まれる。(この時上映される作品の中に、鳴滝主宰の西田宣善氏の作品『VIRIDIAN ROAD』があることは、偶然であり必然でもある。)やがてカメラとともに長い旅に出る彼は、恋した女性に再会し、「ありがとう、バイバイ」という完璧な台詞を得る。

発表当時、これで彼はもう映画を撮らなくなるのではないかと思った。撮ることの意味についてもがき、もがきそのものをフィルムに刻印して、去っていくような印象を感じたのだった。が、ひさしぶりに観返すと、新しい出発点に立とうとしていた、その後の制作につながる原点であったのだとわかる。うさぎの子は死んで埋葬されたが、旅から戻るとまた生まれていたのだし、見えない星「極星」は、この作品のタイトルとして、見える星になった。

その後、武器を持ちかえての山崎幹夫の創作活動は、ここに解説するまでもない。

小川智子 (おがわ ともこ)

映画脚本作品に『斬り込み』(福岡芳穂監督)、『イノセントワールド』(下山天監督)、『天使に見捨てられた夜』(廣木隆一監督)、『狼少女』(深川栄洋監督)、『最低。』(瀬々敬久監督)など。最新作は『明日の食卓』(瀬々敬久監督)。小説「ストグレ!」、評伝「女が美しい国は戦争をしない〜美容家メイ牛山の生涯」などの著作もある。日本シナリオ作家協会会員、大阪芸術大学映像学科客員教授。